今日から予算委員会がスタート。
第5次総合計画を具体化する初めての予算ですが、今後の見通しは厳しく、すでに「74億円の財源不足」とうたわれています。
今日は予算全体にわたって総括的に質疑ができる「総括的質疑」を行いました。市長はこの市政の難局を、市民1人ひとりが「自分たちのこと」として考え、ともに汗を流して乗り切るために「市民主権のまちづくり」を掲げています。
厳しい財政のなかで何を選択するのか、市民のなかでも優先順位の考え方は様々だと思います。市民同士が議論し、お互いに時には譲り合ったり、知恵を出し合って新たな道を提案したり、こういう機運を行政任せではなく作っていくためには、市長が発するメッセージが明確に市民に届くことが大切です。
今、多摩市は財政が厳しいということ、行政ができる範囲は限りがあるということ、そのためにもう一度立ち止まってゼロから考えていこうとしていること、そして市民の知恵と参加がぜひとも必要だということ。
今までも改革を進めながら、なぜ今また財源不足かといえば、多摩市のこれからの財政規模に見合ったお金の使い方に転換できていないからだと思っています。
第4次総合計画にかかげた様々な事業は、お金がないから一時凍結したり、先送りせざるを得ないものもありました。しかし、急場を凌いだ後、それらの事業は見直されることなく実施されました。本来なら今後の高齢化の進展と税収の見込みを考えて、計画してきた事業自体を見直す必要があったのではないか。社会経済状況がめまぐるしく変動する現在、計画行政の矛盾と限界に突き当たっているのではないか。私は今、こんなことを感じています。
今までのように、多くの市民と丁寧に時間をかけて計画をつくり、後は一つひとつ実行していけば、めざすべき将来都市像に近づけた時代とは異なり、将来の人口状況や社会状況を見据えながら、そこに横たわる不安の要因をいかに取り除くのか、あるいはそれに備えるのかということを急がなければなりません。今後速いスピードで高齢化が一層進む多摩市の「老い支度」を急ぐ必要があると指摘したのですが、なぜか議場では笑われてしまいました。
まちも人も年をとります。歳を重ねることを後ろ向きに捉えるのではなく、成熟期を迎えたまちと人にとって求められる、今までとは違うまちづくりのコンセプトを打ち出していくことが必要ではないでしょうか。